佐久間木材の歴史

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佐久間木材の歴史

佐久間木材の歴史
「豊島太郎吉」

佐久間木材の歴史
「初代佐久間喜三郎」

佐久間木材の起源は、明治時代にさかのぼります。
佐久間喜三郎(1884―1933)は千葉の木更津を出て、東京の浅草の材木商に丁稚奉公していました。
旦那の豊島太郎吉は無類の将棋好きで、仕事は喜三郎に任せっきりだったようで、結局250円で豊島太郎吉のお店を買い取ったのが創業。

(ちなみに豊島太郎吉は豊島龍山として、近代将棋駒の祖といわれる駒師になっています。)

明治38年、喜三郎が22歳の時でした。
北海道のセン材を木挽きし、和家具用材として販売していました。
大正12年の関東大震災で全焼したものの、フィリピンのラワン材を製材し、裁板張板用材として販売しました。

初代亡き後、大吉(1912―1989)が二代目を継いだのは昭和8年、21歳の時でした。
昭和20年の東京大空襲で全焼したものの、群馬県のナラ材を製材し、学校関係の机や椅子用材として販売しました。
昭和26年、佐久間木材株式会社を設立。

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「二代目佐久間大吉」

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「三代目佐久間英樹」

セン材をちゃぶ台用材として販売。
近所に合羽橋商店街があることから、北海道のセン材やタモ材をウィンドーケース用材として販売しました。
合板の可能性にいち早く着目し、群馬県産ブナ合板をスマートボール台用材として販売しました。
合板の研究により、北海道のシナ材で抜型用合板を開発し、販売を始めたのは昭和35年の頃。
抜型用合板は現在、弊社の主力商品として全国へ販売するまで成長しています。
同じ頃、北海道産のエゾ松材、トド松材を建築用材として販売をはじめました。

平成元年、英樹(1941―2001)が三代目を44歳にて継承。
事業を拡大していきました。
佐久間ビル商行株式会社設立。
森下営業所開設。
浦安営業所開設。
SMKビルディング株式会社設立。
サニーウッド商行株式会社設立。

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「四代目佐久間賢之」

三代目亡き後、平成13年に賢之(1970―  )が四代目を継いだのは30歳の時でした。
従来の卸売業から小売業へも踏み込んだ木質材料専門店「eco moku(エコモク)」を平成15年にオープン。
木をより身近にという思いと、従来の素材販売から製品販売へも挑戦した木の雑貨専門店「comoku(こもく)」を平成17にオープン。
得意とする合板の可能性を追求した、いろんな合板専門店「@合板(あっとごうはん)」を平成19年にオープン。
そして、施工業へも踏み込んだサクマ式木製塀工事の店「木のヘイ」を平成24年にオープン。
創業百年の伝統を引き継ぎつつ、「木の新しいカタチをお届けし、人の心に木を植える」べく、木という核を大切にしながらいろんな分野に挑戦しています。

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