合板の歴史

合板の歴史は古代エジプトにまでさかのぼり、薄く剥いだ板を接着した手法の物が発見されております。
これが合板の始まりだと言われております。

日本では正倉院の御物のなかに合せ板の手法による物が発見されております。

そして、わが国で現在のように合板の製造が機械化されたのは、明治40年。

名古屋の浅野吉次郎というセメント樽を作っていた人がロータリーレース(木の皮を剥く機械)を発明し開発したときに始まるとされています。

当時の合板は、膠(にかわ)などの接着剤を使用し楽器や家具などを製造していましたが、接着剤の耐水性が向上するとともに用途も拡大していきました。

この頃、抜型用の合板はアメリカから台木として輸入していました。

昭和10年代になると現在の抜型用合板の先駆けの厚合板ベニヤ板が開発されます。

しかし接着剤が悪く、合板の剥れが頻繁にでておりました。

昭和20年代になると尿素系の接着剤が開発され接着力が向上し、合板は剥れるものだというイメージを払拭させ、以前にもまして建材などにも使用されるようになり用途が拡大してきました。

昭和30年代には抜型用合板が弊社と北海道のメーカーとの協力で研究開発されます。

当時は中芯がラワン材で表裏がシナ材の合板でした。

その後も研究開発が進み、表裏に樹脂を貼り付けたり塗装したりした特殊な合板が開発されました。

また、抜型用合板も糸鋸ミシンでカットしていたのですが、レーザー機が開発されカットするようになり始め、導管(木の栄養を運ぶ管)が大きく堅いラワン材だとレーザーの光が分散されてしまい、カットすると合板が燃える危険や堅くて貫通しないという問題が発生し、オールシナ材や中芯の柔らかいジェルトン材などの物が開発されました。

現在では世界でもトップレベルの合板製造国となり、生産量、消費量とどちらも世界有数です。

1905
(明治38年)
商社マンがイギリス製の茶箱を入手し、名古屋の浅野吉次郎氏に製造を相談。

浅野吉次郎氏が合板の研究をはじめました。

弊社創業の年でもあります。

1907
(明治40年)
日本製合板の完成。
1919
(大正8年)
北海道にも最初の一貫合板工場が誕生。

今でも合板工場は北海道に多いです。

1923
(大正12年)
関東大震災の復興に合板が活躍しました。
1927
(昭和2年)
米松、米杉(輸入木材)を使って合板をつくりました。
1931
(昭和6年)
ラワン材(南洋材)の使用が本格化。

合板の生産高が増加しました。

1953
(昭和28年)
農林省が合板及び単板の日本農林規格(JAS)を制定しました。

合板生産量世界第三位、合板輸出量世界第二位。

1955
(昭和30年)
接着剤メーカーが国内初のユリア・メラミン樹脂剤の開発に成功、発売しました。
1969
(昭和44年)
北海道のメーカーがカラ松合板の開発に成功しました。
1973
(昭和48年)
合板生産量、輸入量が史上最高を記録。

石油危機の影響で合板価格が急騰しました。

1980
(昭和55年)
ホルムアルデヒドの放散量に関する基準を規定。
1999
(平成11年)
ロシア法人、カラ松の対日輸出を開始。
2003
(平成15年)
ホルムアルデヒド放散量についての表示がF☆☆☆☆など、厳しい等級区分になりました。
2007
(平成19年)
いろんな合板専門店「@合板」始動しました。