@合板

合板の可能性を追求する、いろんな合板通販店

HOME会社概要お問合せ

ワタシたちの仕事日記


昔は会社と材木置場と自宅がつながっていまして、自宅は木造の日本家屋でしたから、木に囲まれて生活していました。
友人が遊びに来ると、「サクマの家は木のにおいがプンプンするね。」なんて言われたものです。
ワタシは産まれてからずっと木の香りを嗅いでいるせいか、全く感じていませんでしたが…。
会社で働いている社員の方々も、家で一緒に生活していました。
昔はそんな商店がよくあったのです。
食事やお風呂は社員が優先でした。
「働いている人が一番偉いからだよ。」と、祖母に教わりました。
湯船は最後のほうになると黒ずんでいたのを覚えています。
ワタシの曽祖父「喜三郎」が創業者で、祖父「大吉」、父「英樹」ときて、ワタシで四代目。
子供の頃から周りの人に「四代目、四代目」と言われて育ってきました。
そんな環境が窮屈に思えて、少し荒れていた時期もありました。
見た目はいわゆる不良ではなかったのですが、やっていることはそれ以上のことも…。(笑)
小・中・高校まで、親がちょくちょく学校に呼び出されていました。(ゴメンネ)
「逃避・脱出」癖がエスカレートして、大学では探検部に入部。
日本全国、洞窟や川下り・山登りや沢登りをやっていました。
探検部とは言っても、アウトドアをちょっと無謀にやって危険を楽しんでいただけですが・・・。
それでも死が常に手を伸ばせば届くところにあるということにすごく興奮しました。
写真:沢登りの途中、これからこの岩を登ります宣言

そして、自然の中にいると開放感があり、癒される感覚を覚えました。
今でも趣味になっている、「焚き火」はこの時にハマリました。
旅に出るには資金が要ります。
テント生活とはいえ、一年の三分の一は旅に出ていましたから。
効率良くお金を稼がなければなりません。
薬の臨床実験、いわゆる「人体実験」のバイトをしたりもしました。
もちろん、親には内緒で。(笑)
国内の旅だけでは収まらず、海外にも行くようになりました。
中国、香港、タイ、マレーシア、シンガポール、インドネシアなどなど…。
今までの常識が通用しない世界、まるで自分が赤ん坊になったような感覚。
言葉は通じないし、飯を食べるのも一苦労。
目的地に行くのも大変、宿を取るのも…。
写真:香港の安宿、集団部屋(ドミトリー)にて

これが楽しかったんです。
右も左も分からなかった自分が、だんだん分かってくる。
現地の人々とのコミュニケーションも取れてくる。
頼るは自分の身一つのみ。
いろんな事件に巻き込まれたりもしたけど、すべて自分一人で解決してきました。
自分に力が付いてくる感覚、「生きている」実感。
ところがある時気付いたんです。
「オレがこんな旅ができるのも、日本があるからなんだ。強い円のおかげなんだ。先祖が一生懸命働いてくれたおかげなんだ。」
そう思うと、ずっと逃避行を続けていた自分が恥ずかしくなり、無性に働きたくなってきました。
現地の人々との交流も、仲良くなったつもりでいても、ワタシは日本の旅人として付き合ってるので対等な立場ではない。
まずは現地の人々と一緒に働いてみたいと思うようになりました。
そこで大学を休学し、一年間、イスラエルのキブツ(集団農場)で働くことにしたのです。
皿洗い、魚のすり身工場、蜂蜜取り、バナナ畑などで働きました。
写真:養蜂の最中、毎日刺されていました。(左側)

途中、エジプト・ギリシャ・トルコ・ケニヤ・タンザニアなどに遊びに行きました。
キリマンジャロの頂上で初日の出も見てきました。
海外での経験で、ワタシは「生きる」ことの楽しさと、「生きていく」ことの自信を身につけました。
写真:トルコの田舎町で意味もなくジャンプ

ただし、家業を継ぐことへの抵抗感はぬぐえず、大学卒業後はマンションディベロッパーに就職することになりました。
家も出ました。
サラリーマンとして気ままに(あまり仕事に熱心ではなく…笑)生活していましたが、コンクリートの家を販売していくにつれ、産まれながらに木に囲まれて育ったその木の魅力にとりつかれていきました。
しかし家を出た身としては、今更家業を継ぎたいとも言えずにいました。
そんな時、父が癌になり、医師から余命3ヶ月を言い渡されたのです。
この時を逃したら一生後悔すると思い、佐久間木材に入社させてもらいました。
これまでの「逃避・脱出」人生から「もう逃げ道はない」人生への転換。
「木の道をずっと歩く決心」をしたのです。
父が他界し、社業を継いだのは弱冠30歳の時でした。
 
いろいろ大変なこともありますが、「木が好き」なことには変わりがありません。
好きな木を仕事にしていることに感謝しています。
(今している仕事を好きになるために木が好きになった…とも言えるかもしれませんが。)
ワタシの目標は「木の新しいカタチをお届けし、人のココロに木を植える」です。
 木=木材、合板、木質材料、木製品、樹木、森、自然
 新しいカタチ=商品、情報、教育
 人=社員、顧客、仕入先、株主
 ココロに木を植える=資源に感謝する心、ホッとできる安らぎの心、環境を守る心を共有する
 
この目標を決めたきっかけはマザーテレサにあったような気もします。
インドに行ったときのことです。
「早朝のミサに行けば、マザーテレサに会えるよ。」という噂話を聞き、ミーハーな気持ちで教会に行きました。
本当にいらっしゃいました。
ワタシの数人隣りに、車椅子に座った小さなマザーテレサが、みんなと同じようにお祈りをささげていたのです。
ミサが終わった後、マザーテレサから直に名刺をいただきました。
裏面には手書きで「call me later 090−××××―××××」と電話番号が!←ここはウソです(笑)。
まーでもそんなことで親近感を覚えていました。
ただそれだけのことで、日本に帰ってきてからはすっかり忘れ、月日が経ちました。
ある日のこと、高田馬場の本屋さんで偶然マザーテレサの本を見つけて購入しました。
するとなんと、その日のニュースでマザーテレサ逝去を知ったのです。
なんという偶然でしょうか。
なにかマザーテレサと繋がっているような気がしてなりません。
ワタシはかつて阪神大震災やナホトカ号重油流出事故の時にボランティアをしたことがあるのですが、それもマザーテレサのお導きでしょうか。
それ以来、ワタシはマザーテレサを心の師としています。
彼女の名刺には、本当はこのようなことが書いてありました。
写真:
The fruit of SILENCE is Prayer
The fruit of PRAYER is Faith
The fruit of FAITH is Love
The fruit of LOVE is Service
The fruit of SERVICE is Peace

ワタシの目標は、こんな体験から出てきたものです。
 
ワタシは何より、地球が与えてくれた木という資源が好きですし、責任を感じています。

「そんなことしたら木が泣きよります」 

西岡常一(宮大工棟梁)の言葉です。
木材という資源を商いする私は、木材が育った年月、育ててくれた人々の苦労などを考え、決して安売りすることなく利益を出し、税金をしっかり払い、さらなる植林をできる社会基盤をつくる一役を担いたいと思っています。
そして会社を預かった四代目として、次につなげていくための役割を担っていきます。
 
ちょっと偉そうなことを言ってしまいました。
まぁ、いつものように肩の力を抜いて「今の自分をちょっと超えてみる」、ただそれだけかもしれません。
あっ、実はワタシ、二人目の子どもが生まれました。
男の子だったので五代目ってわけです。
名前は「きすけ」。
家業が材木屋なので、うちは代々名前の読み仮名に「き」が入っています。
初代「きさぶろう」二代目「だいきち」三代目「ひでき」ワタシ四代目「まさゆき」。
ワタシが十代の時と同様に、「材木屋なんて継がねぇよ」なんて言われちゃしかたありませんが、「オヤジの仕事、オレもやってみたい!」って言ってもらいたいです。
あと20〜30年、うちの会社が続いていればの話ですが。。。

こりゃあさらにフンドシを締め直して仕事しなければなりませんね。



▲ ページトップへ